AppleⅡがヒットした理由と、アップルコンピュータジャパン設立のいざこざについて。日経コンピュータ1984/10/29号『アップル社の対日戦略:“米国産リンゴ”は日本人の口に合うか』(日経マグロウヒル発行)より。

アップルの「ア」の字もないこのブログでなぜ突然こんな話題なのかというと、別件で古い資料をあさっていたときに偶然この記事を見つけて、気になって読んでしまいました。私はAppleの製品はiTunesしか使ったことがありません。まして、Appleやジョブズ氏については数年前のNHKの特番で見た程度のことしか知りません。ただ、コンピューター史を知る上ではなかなか興味深い内容でした。

Apple IIはなぜ売れたのか?

以下、記事コラムより。

アップル社が急成長した理由 - 拡張性、グラフィックスに優れたApple II

アップルコンピュータ社(米カリフォルニア州、ジョン・スカリー社長)の設立は1977年1月。設立後間もない2月、同社は最初のパーソナル・コンピュータ、Apple IIを発表した。1981年にIBMが参入するまでの4年間のパソコン市場はアップル社、コモドール社、タンディ社の3社で激しい競争が展開された。

典型的なベンチャー企業だったアップル社に比べコモドール、タンディははるかに大きくタンディは全米に約7000の販売店を持っていた。アップル社にとっては強力すぎる競争相手だったと言える。Apple IIとほぼ同時期に発売されたのがPET2001(コモドール社)、TRS-80(タンディ社)。この2機種を上回る性能を持ったApple IIが今日のアップル社を築く基礎となった。

Apple II、PET2001、TRS-80の基本仕様を表Aに示す。この3機種の中でまずApple IIが優れていた点はグラフィックス能力である。Apple IIだけがカラー表示が可能で280×192ドットという当時としては極めて高い解像度を誇っていた。PET2001やTRS-80は1キャラクタを4分割または6分割して1つのドットを作り出しており、疑似グラフィックスに過ぎなかった。グラフィックス能力は特にゲームを作る場合に、大きな差となって現れる。リアルな画像、微細な動きを表現するのに高い解像度は不可欠だからだ。

もう1つのApple IIの特徴はCPUバスに直結した8つの拡張スロットである。Apple IIは基本的にはテキスト・モードで40字×24行だが、このスロットに80桁拡張ボードを接続することで80字×24行表示できるようになった。Z80カードを接続すればApple IIがZ80マシンに変わり、CP/Mを使用できた。この他ボイス・シンセサイザや画像入力装置も接続できゲーム以外のビジネス、ファクトリ・オートメーション、ラボラトリ・オートメーションにApple IIを使用できたのである。

Apple IIの価格が他の2機種に比べて高かったにもかかわらず、よく売れたのは主にこの2点に寄るところが大きい。少々、高くてもより楽しいゲーム、多彩な使い方ができる機種をユーザーは望んだのである。第3者ベンダーにとってAppleが魅力的なマシンだったことも大きい。ベンダーにとってApple IIはソフトや周辺のハードを「作る気にさせるマシン」(ハイテックスの羽根田孝人社長)だった。

パイプライン処理を行う高速CPU 6502 と6キロバイト整数型BASICの組み合わせによる高速処理、洗練されたデザインも一役買って、Apple IIはユーザー、第3ベンダー双方にとって魅力ある製品だったのだ。

こうしたApple IIの優秀さに支えられてアップル社は急成長。新機種Macintoshの好調さもあって、米国パソコン市場でのアップル社のシェアは現在30%。IBMの35%強に次いで2位の座を確保している。しかし現在、米国パソコン業界はIBM一辺倒。AT&T(米国電話電信会社)、コンパック、タンディなど大手は軒並みIBMコンパチブル路線。

ソフトハウス、システム・ハウスはIBM専用ソフト、ハードの開発に走り、その結果Macintosh用ソフトは当初見込んでいたほどは開発されていない。ハイテックスの羽根田社長によると約30種類という。アップル社にとってはこれからが正念場と言えそうだ。

表A:AppleⅡ、PET2001、TRS-80の基本仕様

機種名 Apple II PET2001 TRS-80
メーカー名 米アップルコンピュータ 米コモドール 米タンディ・コーポレーション
CPU 6502(8ビット) 6502(8ビット) Z80(8ビット)
内蔵RAM
()内は最大
16キロバイト
(48キロバイト)
8キロバイト
(32キロバイト)
16キロバイト
内蔵ROM 8キロバイト
(モニター、6キロバイトBASIC)
14キロバイト
(モニター、8キロバイトBASIC)
13キロバイト
(モニター、BASIC)
キーボード スカルプチャ・タイプ
(ASCII配列)
変形正方配列+テンキー スカルプチャ・タイプ
(ASCII配列)+テンキー
表示部能力 テキスト・モード
40字×24行、16色
グラフィック・モード
280×192ドット(6色)
テキスト・モード
40字×25行
グラフィック・モード
80×50ドット
テキスト・モード
64字×16行
グラフィック・モード
128×48ドット
インタフェース
(標準搭載に限る)
拡張スロット×8 GP-IB システム・バス
ソフトウェア 6キロバイト整数BASIC
(10キロバイト実数BASIC)
8キロバイト実数BASIC 13キロバイト拡張BASIC
基本構成 本体、キーボード 本体、キーボード、CRT、オーディオ・カセット 本体、キーボード
価格 35万8000円 29万8000円 24万8000円

アップル社が日本市場に参入するまで

1983年のアップルコンピュータジャパン設立とキヤノン販売との提携について、個人の伝記をまとめたような記事はネット上にもあるけれど、企業としてどんな動きがあったのかシンプルかつ的確にまとめた資料は見当たらないなあ。

アップルコンピュータの日本での販売ルートの変遷(参考書誌より)

Image: アップルコンピュータの日本での販売ルートの変遷

ESDラボラトリが輸入・販売代理店を始めたきっかけ

アップル社製パソコン、Apple IIが初めて日本で販売されたのは1977年10月。米国のコンピュータ・ショウでApple IIに目をつけたイーエスディー(ESD)ラボラトリ(本社東京、手塚さち社長)が輸入・販売を始めた。

東レ本社がアップル製品の販売から撤退した理由

1980年7月、総販売元がESDラボラトリから東レに移り、同時に日本向けにカナ文字をサポートしたApple II J plusが発売された。この頃、日本の有力パソコンメーカーも続々と新機種を投入している時期だった。それからわずか2年後に東レ本社が撤退し、再びESDラボラトリがメイン・ディストリビュータとなった。(東レ子会社の東レ・リサーチは引き続き組み込みシステムを販売)

東レ撤退の理由は当時東レでアップル製品の販売を担当していた羽根田孝人(現ハイテックス社長、本社東京)によると「アップルがノックダウン生産を許さなかったため」という。

当時のアップル社は自社・本国アメリカでの開発・生産にこだわっていたために、日本向けにローカライズしたいという日本のセールスマンと軋轢が生じていました。この状況はアップル日本法人設立後も続きます。このいざこざについては他のサイトでも結構触れられています。

アップル日本法人 アップルコンピュータジャパン設立

83年6月、アップルコンピュータジャパン設立。アップル社の日本拠点は第1号機Apple II発表後7年目にしてできたのである。社長には日系米国人の福島正也氏を起用。日本市場に対する配慮も忘れなかった。

アップルコンピュータ ジャパンがキヤノン販売と提携した理由

衣川営業部長は次のように語る。「社員20人足らずのアップルコンピュータジャパンの販売、ユーザー・サービスを補うためには販売力、技術力を併せ持つところとの提携が必要だった。20社以上の候補があったが、知名度、信頼性、人材の豊富さ、パソコン取り扱いの経験と実績などを考慮した結果だ。」

一方、キヤノン販売は「AS-100(同社の高級ビジネスパソコン)とMSXパソコンの中間を埋める機種が欲しかった。自社で新たに開発するには時間が掛かりすぎる。当社が必要としていた機種がアップルのパソコンだった」(小道健夫キヤノン販売企画推進本部総合企画部長)

ちなみにこちらの記事では、キヤノン販売が東証一部に上場するにあたり独自の事業を展開する必要があり、「「既存の販売チャネルで行なえる外国製品の輸入販売事業」にピッタリだと直感した」とのこと。

Apple/Macテクノロジー研究所 Apple日本上陸におけるキヤノン販売の英断を考察する
http://appletechlab.jp/blog-entry-799.html

米国アップル、アップル日本法人、キヤノン販売のそれぞれの担当分野

米国アップルは日本における広報活動や製品戦略の決定権を持つ。アップルジャパンは米国アップルの出先機関として市場調査、新製品発表時の宣伝活動、ソフトハウス向けのセミナーなどを担当する。キヤノン販売は製品の販売、通常の宣伝活動、ユーザーに対するアフター・サービスを受け持つ。

1980年代のアップル製品の広告を見ているとCanonとApple Computerのロゴが並んでいて疑問に思っていたのですが、なるほどこれで疑問がスッキリ晴れました。

アップル本社の日本市場に対する姿勢に懸念

同特集の後半ではアップル社の日本市場に対する姿勢について問題を指摘しています。

衣川部長によれば、Macintoshの日本語化作業は3段階で進められている。(中略)問題は第3段階のOSレベルでの日本語化だ。「OSの改造は米国本社が担当する。現在、米国本社の方ではOSのどこをどのように変更すれば最もスムーズに日本語化できるのかを検討中で、完成は来春以降になる見込み」としているが、アップルコンピュータジャパンは自分の手で改造作業を行っていないことから来るもどかしさも隠さない。

今でもアップルコンピュータジャパンの社長は未定。(中略)社長辞任の理由はともかく、もう1つ問題なのはアップルコンピュータジャパンのアップル本社に対する力関係。人事やマーケティングに関する自主決定権を持つか否かである。(中略)こうした意見から浮かび上がってくるのが外資系企業に共通の決定権のなさ。社長不在の問題にしても、「米国市場でIBMやAT&T(米国電話電信会社)に対抗するのに手一杯」(日創の坂井部長)の米国アップルに任せるのではなく、日本側で選び、決定すべき事ではないだろうか。アップルコンピュータジャパンの現状に販売店は不満を抱いているのである。

結局、日本語版Macintoshが登場するのは2年後のことで、それまでの間にEG-Wordなどソフトウェア側で独自に日本語に対応したものが登場するといったことがありました。その辺の話は他のサイトの方が詳しいかな。


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