国産初のパソコンって何だろうかと調べていったとき、ふと最大の疑問(難問)にぶつかる。そもそもパーソナルコンピューターの定義とは何なのか。

パーソナルコンピュータ - Wikipediaでは「パーソナルコンピュータは個人向けの大きさ・性能・価格を持ち、エンドユーザが直接操作できるように作られた汎用的なコンピュータである。」としている。このことを頭に入れつつ、70年代の国産パソコンを取り上げてみる。

SMP80/20 (ソード電算機システム/1974年)

IPSJ(日本情報処理学会)のサイト パーソナルコンピュータ-コンピュータ博物館 の年表で最初に取り上げられている製品がこれである。この製品についてネットには「Intel 8080を搭載したミニコンスタイルのコンピューター」と言う程度の情報で、詳しい情報は出てこない。IPSJのサイトの写真を見る限り、翌1975年に米国でマイコンブームの火付け役となったAltair8800みたいなものだろうか。

古い文献を探ったところ、日経エレクトロニクス1975年4月21日号に小さな広告があり、そこには「DMA、割込み、TTY I/F付で4KB 80万円、8KB 90万円、12KB 100万円、16KB 110万円」と書かれている。この文言からして一般人向けでないことが覗える(まあ専門誌の広告だからおかしくはない)。アプリケーションパッケージが用意されていたかどうかは、知ることができなかった。高価だと言われたAltairの正規輸入品でさえ30万円ほどだったことを考えると、こちらは個人で買うものではない。

SEIKO 5700 (精工舎/1977年8月)

Image: SEIKO5700 新発売
出典:橋梁 13(11)、科学書刊株式会社 橋梁編纂委員会、1977年

精工舎は1969年にS-300デスクトップコンピュータという製品を発表している。これは1965年にオリベッティから発売されたProgramma 101と同じコンセプトを持ったマシンだった。その系統でS-301、S-500、SEIKO 5200/7000/5500/5700/8500/5900と続いていく。

パーソナルコンピュータ史 - Wikipediaを含むいくつかの文献ではこのマシンがパソコンとして分類されている。測量・土木向けを中心にアプリケーションパッケージが完備されている点はパソコンとして成立している。プログラム言語にBASICが用意されている点も評価できる。オプションのハードウェアでCRTディスプレイやFDDを接続できるが、標準構成ではプログラム電卓のようで、その後の一般的なパソコンの姿からはほど遠い。価格情報はどうしても見つけられなかったが、前後のモデルから察するに150万~250万円ほどと考えられる。

1979年3月に発売されたSEIKO 8500はCRT/FDD/JISキーボード一体型でパソコンらしい形をしている。ただし、価格は240万円から。

M200シリーズ (ソード電算機システム/1977年9月)

CPUにザイログZ80を搭載し、本体、キーボード、ディスプレイ、FDDを一体にした日本初の一体型デスクトップコンピュータ。このマシンについても、IPSJのサイトに掲載されている以上に詳しい情報は出てこない。マシンの仕様を見るにパソコンの定義を満たすだけの環境は揃っている。価格については、日本経済新聞S53年2月13日号に小さな広告枠があり、そこにはM220 139万円と掲載されている。これを踏まえるとパーソナルとは言い難い。

COSMO TERMINAL-D (アスターインターナショナル/1977年秋)

COSMO TERMINAL-D
出典: 日本経済新聞 昭和52年10月25日付

パソコンショップCOSMOSを運営していたアスターインターナショナルから発売された一体型パソコン。ハンドアセンブル生産であったため発売当初は注文に追いつかず、納期が6ヶ月待ちなんてことがあったらしい。価格は29万9千円から。電機メーカーのようなちゃんとした工場を持たないショップブランドのパソコンではあるが、一般のマニアに売れていったようなので国産初のパソコンに挙げてもいいと思う。

M100シリーズ (ソード電算機システム/1978年5月)

Z80、16K RAM、フルアスキーキーボード、CMTインターフェース、64x24キャラクタ白黒ディスプレイ出力、BASICを備えたパソコン。価格は19万9千円。パソコンとしての要素は十分で、これだけ聞けばヒットしてもおかしくないマシンだが、実際あまり売れていないところを見るに何か問題があったのだろう。

PANAFACOM C-15 (パナファコム/1978年5月)

Image: SEIKO5700 新発売
出典:『電子技術』21(5)、日刊工業新聞社、1979年5月

まだ8ビットCPUを搭載したパソコンが主流だった中で16ビットCPU MN1610 を搭載したマシン。本体、キーボード、CRT、CMTでセット価格は70万円。

my brain 700 (松下電器産業/1978年)

Intel 8085/FDDx2/CRTを搭載した本格的な事務用一体型パソコン。価格は153万円。

MCZ-80 (スーパーブレイン/1978年)

米国Exidy社のパソコン「Sorcerer」のローカライズモデル。価格は347,800円。輸入モデルと言うことで国産PCには含めない。

ベーシックマスター MB-6880 (日立製作所/1978年9月)

詳しいことはベーシックマスター - Wikipediaを参照。月刊アスキー最終号(2005年9月号)ではこれが国産初のパソコンとして挙げられている。これより前のマシンは世間一般には馴染みのないメーカーだったが、さすがに日立となると開発部門が違うとは言え大型計算機メーカーとして名が通っているだけに、一般にも周知されるきっかけになった。コンピューターマニアだけでなく一般人も視野に入れた意味では国産初のパソコンと言えるかもしれない。

結論

国産初のパソコン議論の決着はCOSMO TERMINAL-Dかベーシックマスターで分かれるところ。ただ、当時は海外8ビットPC御三家(PET、TRS-80、AppleII)の存在が大きく、国内のパソコン史ではこの2つのマシンの存在はあまり大きくない。国産パソコンが日本の市場に大きく影響を与えるようになるのはやはりNEC PC-8001が登場してからだろう。

参考文献一覧

  • SORD SMP80/20
    • 『日経エレクトロニクス』1975年4月21日号、日経マグロウヒル社
  • SEIKO 5700
  • SORD M110
    • 『日経エレクトロニクス』1978年5月15日号、日経マグロウヒル社
  • 全般
    • コンピュータ博物館、日本情報処理学会。
    • 『マイクロコンピューターのすべて』、産報ジャーナル、1978年
    • 「図説 ニュー・パーソナルコンピュータ ガイド–PETからIBM5110まで」、『電子技術』21(5)、日刊工業新聞社、1979年5月
    • 小林紀興『松下電器の果し状』、光文社、1989年

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