Image: WindowsはMacのパクりか?

トップの画像は月刊アスキー1987年2月号より、インタビューでMS-WINDOWSについて語る古川 享(当時、マイクロソフト株式会社 社長)。

川俣晶氏の『あなたの知らないWindowsの1980年代史 ~この世界は嘘だらけ~』(株式会社ピーデー、2019年初版)を読んでいた。同氏の他の本と同じく、ある一定の知識があることを前提に語りかける文体となっている。

この本が語る論点は次の通り。

  • WindowsはMacのパクりか?
  • WindowsはOSではないというのは事実か?
  • 当時の観点で見るWindowsの利点と欠点
  • WindowsがOS/2やUnixのコミュニティから敵視された理由

この本は私の考えを整理する良い機会になったが、正直言ってこの本に関しては他の川俣氏の著書に比べて同氏の主観(あるいは記憶)に頼るところが大きく、調査が不足している節がある。

WindowsはMacのパクりか?

「WindowsはMacのパクり」。一時期はWindowsに批判的なMacユーザーから散々言われた言葉だ。実際の所、これは嘘であり、誠でもあるのだろう。しかし、真実は置いてけぼりとなったまま、言葉だけが広がった感はある。まして情報伝達手段が限られていた1980年代・90年代、正しいパソコン史を語ることができた者は少なく、Xerox Alto, StarやApple Lisa、GEM、Visi Onを知っていた人なんて僅かしか居なかったに違いない。そんなマイナーなハードやソフトよりも、よく知られるMacintoshの方が対比として挙げやすい。

真相は概ねこの本に書かれているとおりなのだろう。しかし、この本には重大な見落としがある。1983年末にMicrosoftがWindowsを発表するまで、AppleとMicrosoftは協力関係にあったことを忘れてはならない。

AppleはMicrosoftをサードパーティーのソフトウェア開発者として必要不可欠であると位置づけ、MicrosoftはMacintosh用に表計算ソフトのMicrosoft Excelを開発した。ソフトウェアを開発するには当然OSの技術情報もある程度必要になる。実際、AppleはMicrosoftに対し、Macintoshの出荷開始から1年後まではMicrosoftがマウスを使用するソフトウェアを出荷しないよう契約を取り付けた上で、Macintoshの発売前からその技術情報をMicrosoftの開発者に提供している。この契約はMacintoshの当初の出荷予定日であった1982年秋に合わせて1983年9月に失効すると規定されたが、開発スケジュールの遅れを反映することなく契約は失効し、1983年11月のWindowsの発表に至った。

Macintoshの開発チームの一人、Andy Hertzfeld氏の証言に依れば、Microsoft側でMacintoshのプロジェクトに関わっていたNeil Konzen氏は本来知る必要のないシステムの内部や実装の詳細について質問することがあり、MicrosoftがMacintoshのクローンを作るのではないかと疑っていたとのこと。Windows 1.0が商業的に失敗すると、Windows 2.0の開発はNeil氏が主導することになった。このWindows 2.0はAppleがMacintosh OSとの類似性を指摘して裁判沙汰になっている。

この証言はApple元社員の視点であることに留意する必要はあるものの、この一面を知ってしまうと、本にある「WindowsがMacintoshと似ることを望んだ者達は存在したか?」というのは言い訳にも聞こえる。似せて作るも何も、Macintosh OSの内外に詳しい者がWindows 2.0の開発を主導した訳なのだから。案外、真相は白黒はっきりしたものではないというのはよくあることで、どちらもWindowsの開発に影響を与えていたのかもしれない。

まとめてみる。Steve JobsはAltoにいち早く目を付けてXeroxに取引を持ちかけ、Xeroxの投資部門はAppleの株と引き換えにAltoの技術をAppleに流出することを許してしまった。Appleはパソコン用GUIの開発に取りかかったが、1980年代に入ると様々なソフトウェアメーカーがGUIに目を付け始めた。MicrosoftもMacintoshの開発プロジェクトを通じてAppleからOSの技術を学び、当時のMicrosoftが掲げていたスローガン “We set the Standard.” にもあるように、パソコンの機種に依存しない「標準的な」環境を作り上げることを決めた。

「学ぶ」という言葉は悪意を込めて言えば「パクリ」になる。しかし、新しい優れた技術が生まれると他社がそれを「パクる」のは産業分野に限らずよくあることだ。そうして技術は発展していく。Apple側からすればMicrosoftの行為は快く思わないだろうが、Apple自身も元々はXeroxの不注意につけ込んで技術を「パクった」わけであり、MicrosoftもAppleに対して似たようなことをした。問題はMicrosoftとAppleが協業関係にあったことだ。これは裏切り行為としてJobsを怒らせ、MicrosoftとAppleとの間に決定的な溝を作った。

WindowsはOSではないというのは事実か?

これに関しては本の主張は的を射ていると思う。当時のWindowsを動かすにはMS-DOSが必要だったというのは事実だが、MS-DOSに備わっていない役割をWindowsが担っていた部分もあり、OSの見方によって意見が分かれるというところだろう。マイクロソフト自身は、MS-DOSと組み合わせて使用することを意識してWindowsを「オペレーティング環境」と呼んでいた。

Image: MS-DOSアプリケーションとWindowsアプリケーション
月刊アスキー1987年2月号p.102『図1 従来のアプリケーションとWINDOWSのアプリケーション』。

この図を見れば、Windowsが単なるグラフィックライブラリではないことは明らかである。

当時の観点で見るWindowsの利点と欠点

MS-DOSのAPIをフックしていたという内部的な話や機種依存性の話については参考になった。まあ頭の整理になったけども、私にとってそれほど真新しい話はなかった。

WindowsがOS/2やUnixから敵視された理由

OS/2が要求するPCスペックは高かった。しかし、Windows 3.0が登場するまで、パソコンメーカーの間では、WindowsはOS/2に移行するまでの橋渡し(過渡的なOS)であって、パソコンの平均スペックが上がればOS/2が主流になるという見方が多かった。これは日本のみならず、米国でも同様の認識だったようである。この時点ではOS/2はWindowsの上位の存在であり、同じ土俵にいない。敵視する云々が成り立つのはWidnows 3.0時代の話だろう。

Unixがマイナーだったのはマシンが高価という理由だけではない。企業部門では富士通、NEC、日本IBMが展開していたオフコンと独自OSの勢力がまだ強く、Unixを前面に出していたのは日本DEC、横河ヒューレット・パッカード、サンマイクロシステムズ、ソニーなどのワークステーションを主体として開発するメーカーだった。企業では基幹システムと連携を取りやすいオフコンが採用され、Unixワークステーションが採用されたのは大学や研究機関などの狭い領域に限られた。1990年2月にIBMがRS/6000を発表し、ワークステーションの低価格化に向けてUnixを本格採用したことをきっかけに、富士通やNECもUnixで「オープン化」に進むことになる。

1980年代当時にWindowsを敵視する風潮がどんなものだったか、当時を知らない私には分からない。Windowsどころか、MS-DOSすら正しく理解していないユーザーが大半だったんじゃないだろうか。だが、川俣氏の言う「この問題のややこしいところは、当事者がとても少ないことである。」という話には同意できる。Windows、OS/2、Unixのそれぞれを理解して、互いにどういう関係にあったのか把握できたのは、当時のコンピューターメーカーの開発者や上層部くらいだろう。パソコン通信で衝突があったとすれば、各ユーザーは自分のテリトリーの範囲で知識を持ち出し、主張をぶつけ合っていたのではないだろうか。

参考文献


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