210817 過去に学ぶことはあっても還るつもりはない
数年前、あるゲームシリーズの何周年かを記念した生配信番組があって、そこに当時(ファミコン時代)のゲームクリエイターが出演した。チュンソフトの中村光一だった気がするし、もしそうならドラクエシリーズの記念番組なんだろうが、記憶に自信がなく、違っていたら申し訳ない。以下に出てくる文面も含め相当違っていると思うが、大体そんな話があったのだ。
番組でゲーム実況者による過去作品のプレイが続いている合間、インタビュアーはそのクリエイターに質問した。「今でも昔のゲーム機(あるいはソフト)をプレイすることはありますか?」と。
そのクリエイターはこう答えた。「昔のゲームはもう持っていない。私は過去を振り返るよりも、常に新しいことを追い求めている。最近はゲームソフトをダウンロードして購入することがほとんどだ。プレイし終わったソフトは消しているので、容量はそれほど必要としない。物理媒体のような管理の煩わしさがないので楽だ。」
それは番組や視聴者に対する皮肉とも取れる発言だったが、80年代からゲームを作っている有名なクリエイター自らがそう語ったことに重みを感じた。もっとも、番組は特に空気を崩すことなく次の話題に移った。本人や周りにとってそれは軽い一言だったろうが、妙なことにそれは私の心に薄く広く響いていった。
昔のゲームを新規にプレイしたり繰り返したりすることは悪くない。過去の思い出にだって何か新しい発見があるかもしれない。前向きな理由があればそれでいい。
しかし時々、無性にひたすら過去の思い出の品や写真を見て浸りたくなることはある。あの頃のあれは良かった。あの頃に戻ってまた体感したい。やり直したいなど。しかし、しばらくそうしていると、この話が思い出される。そして我に返る。今の私に不満はあっても、不自由があるわけじゃない。今は今を積み重ねよう、と。
そんなことを思いながら私はゲーム雑誌と同人誌の山をまとめて捨てに行くのだった。