Image: 240206 白川郷と大家族

Vlogで白川郷を見ることになろうとは🥰

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白川村は岐阜県の中でも豪雪地帯で田舎の田舎。1995年に白川郷として世界遺産に登録されたことに加え、ゲーム・アニメの聖地になったことで東海地区で代表的な観光地になった。地元のテレビでは定期的に行われるかやぶきの整備や消火用スプリンクラーのテスト散水が風物詩として放映される。

今は写真映えする合掌造り集落の建築や農村風景で有名だが、少し古い文献をあさってみると、白川郷は大家族制度という文化的側面で特筆されていたことが分かってくる。

白川郷、大家族制度 | 60からの一歩

昔、大家族制度がこの地では、営まれていました。22人の人が同じ屋根の下で生活していた、という記録もあります。

限られた土地では分家することが許されず、長男以外は、正式な結婚が認められず、つまどいと言って私婚しか出来ませんでした。そこで子供が生まれると、母方に引き取られ育てられるのです。おじ、おば、甥、姪が一緒に暮らし、大人数になるのです。

大勢の人たちをまとめるのには、規律が必要です。家長はごてと呼び、絶対的な権力を持っています。その妻を、かかあと呼びました。長男はあにと呼ばれ,優遇されましたが、決してわがままは許されませんでした。男の子はぼうと呼ばれ、畑仕事、養蚕の手伝いをし、女の子はびいと呼ばれ、子守や機織です。子供は重要な働き手です。親戚の男衆から畑頭を、女衆から鍋頭を選び、それぞれ仕事の統率を任せるのです.

大家族制度は厳しいながらも、そこには愛情があふれていました。

戦前の「家制度」について私は勉強不足で全く知らなかったが、調べてみると興味深い。そして私の身近なところにも例はあった。

私の祖父は6人兄弟の末っ子だったが、兄弟のうち3人は戦死して長男以外は養子に出され、養子入れ先でそこの女性(私から見て祖母)と結婚した。多産多死で今ほど豊かじゃなかった当時、家制度を維持するために男が養子に出されることは少なくなかったらしい。祖父は無口な性格で生前にこのことを一切語ることはなく、祖母とも亡くなってから親が戸籍を整理している過程で初めて明らかになった。この話はつい昨年、親から驚きのエピソードとして聞かされた。

この背景を知るには旧民法や当時の風習への理解が必要だろう。自分で色々と調べてみたいと思う。

参考文献

家族制度の変革と現代家族 - 松嶋 道夫 (1985.7) | CiNii Research


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