240524 KCGコンピュータミュージアム [京都] 大型・中型機編 (1 of 2)
京都のKCGコンピュータミュージアムへ行ってきた。
この博物館は京都コンピュータ学院内にある。京都コンピュータ学院は日本で早期からコンピューター専門の私立教育機関として設立された歴史を持ち、学内だけでなく学外からも歴史的に評価されるコンピュータを収集し、展示している。2008年に情報処理学会から「分散コンピュータ博物館」として認定された。
収集範囲は大型機からミニコンピュータ、パソコンに至るまで広くカバーしており、これだけ揃えて展示しているところは日本で他にあるだろうか。パソコンの機種や資料の数で東京のマイコン博物館が上回るくらいじゃないだろうか。
開館情報(2024年5月時点)
1人から誰でも無料で見学できますが、予約が必要です。総務課が電話で予約を受け付けています。原則、案内人が付くようです。私が電話したときは平日から曜日を指定され、総務課から案内人に確認を取るということで折り返しの電話で返答をもらいました。案内人の都合次第だと思います。
電話して日時を決めると、「見たい機種はありますか?」と聞かれます。どうも、ほとんどのコンピューターは京都駅前校本館1階のホールに展示されていますが、いくつかの大型・中型コンピューターは別の階や新館に展示されているので、その案内に繋がる質問かと思われます。
1階ホールの見学所要時間はじっくり見て1時間です。他の階は見て回っていないので分かりません。ホールと書いていますが、展示専用の部屋ではなく学校のエントランスを兼ねています。生徒がVAXなどの前を素通りしていきます。目をくれる人はいません。まあ、そうでしょうね。
展示機
今回案内してくれた方は、初めて所有したパソコンが学生の時でPC-9801EXとのこと。本業は聞きそびれましたが、多分こちらの教職員で、とても親しみやすく丁寧に対応してもらいました。
人づての話では、こういった古いコンピューターは当時のマニュアルといった紙の資料がほとんど失われており、どのように運用されていたか分からないものが多いとか。この博物館もほとんどはハードウェアのみの展示です。
まず受付から2枚目の自動ドアをくぐってすぐ左にあるのは、ミニコンの名機VAX-11/780。
次にもっと古い世代の、PDP-15, PDP-11 / 05, PDP-8/Iと、1960年代から70年代のDECのミニコンが並びます。
PDP-15のコントロールパネルのスイッチを触らせてもらいました。動画で見たとおり、しっかりパチパチするスイッチでした。産業デザイナーがデザインしているのか、DECのマシンは見た目がクールです。海外のマニアがPiDP-11というミニチュアのキットを売っていて、ガジェットとして欲しいと思っていますが、ちょっと高いので躊躇します。
PDP-8/Iの内部を見せてもらったのですが、日本DECのサービスカードが入っていました。保守連絡先が名古屋のサービスセンターで、GIFU HOSO(岐阜放送?)で使われていたものだったようです。PDP-8/Iの発売は1968年で、DECの日本法人が立ち上がったのは1982年ですから、結構長く使われたんですね。
ホール中央付近には、おそらく数千万円したであろうIBMのバカでかいプリンター (IBM 1403) に、カード読み取り機、ハードディスク (IBM 3350。ぱっと見リムーバブルっぽいのですが、リムーバブルじゃなくなった直後の世代ですね。) に続いて、IBM システム/370モデル158が開腹されて置かれています。
メインフレームと言えば、システム/360(モデル40)。この手前にコンソール (IBM 1052) もあります。普段キュービクルの大きさを体感してるので、この程度の大きさは写真で想像したより意外に小さく見えます。
S360とS370の間になぜかPS/55Zがありました。案内人も少し変と感づいたようだったので、「これはDOS/Vと同じ時期に出たパソコンですね。看板がないから寄贈品ですかね~。」と教えたら、「それならあっち(パソコンコーナー)に置かないとですね。」みたいな会話しました。
カードパンチ機。パンチカードは入出力媒体として50年以上の歴史を持ちますが、完全に絶滅しましたね。キーボードは現代でもしぶとく残っています。
年代的にキーボードはJIS配列かと思ったら、記号の割り当てがかなり違います。EBCDICと関係あるかな?分かりません。
NEC NEAC-2206。大阪大学からの寄贈品で、1963年製造なので日本の商用コンピューターとしては初期のもの。こちらは本当にでかい。ごっつい鉄の塊が並んでいるという印象です。
沖電気のOKITACというコンピューター用の端末。
パンチカードがコンピューター分野で普及するより前は紙テープが主流で、打ち間違いや修正は紙テープを切って繋ぎ直すという作業が大変だったようです。パンチカードはプログラムの1行が1枚のカードに対応するので、紙テープに比べれば修正はずいぶん簡単になったそうです(ただし、カードの束がばらけて順番が崩れると大変なことに…)。紙テープを打っていた人はテープの穴を指で触っただけでコードが分かったという、本当か冗談か分からない逸話があります。点字と似た原理なのであり得そうですが。
東芝のTOSBAC 40というミニコン。
あのレミントンランドのパンチカード機。
といっても、レミントンランドなんて今や本国アメリカですらほとんど知られていないでしょうね。UNIVAC(ユニバック)と言えば、ある程度のコンピュータマニアには通じるかも知れません。いや、今はIBMですら知らない人は知らない時代なので、どうだかな。
次はパンチカードを仕分けする機械です。上からのぞき込むとカードが何枚か並べて入っていましたが、年配の見学者から「実際こんな風にカードが同時に入ることは有り得ない。」という指摘があったとか。展示用の演出でセッティングされたんですかね。
東芝の大型コンピューター TOSBAC-3400とその周辺機器です。意図してるのか分かりませんが、押し込まれたかのように置かれています。壁面にこのコンピューターが使用された当時の写真が掲載されています。この機種の設計者(既に他界されています)がこの学校で臨時講師として教鞭を執っていた時期もあったそうです。
メインの機械は写真外の右にあります。ラックの背面を見せてもらったところ、廃熱ファンに山洋電気San Aceのファンが使われているのが見えて、案内人「このファンは12cmくらいですかね。」私「お、山洋電気のファンだ。」案内人「山洋ってヤマ・ヨウのですか?」私「そうそう、このメーカー今でも自作PC用のファン売ってますよね。」案内人「私も一時期自作やっていたので知ってますよ。山洋はインテルのCPUファンでも使われたんです。インテルの担当者が山洋電気を訪ねたら、こんな小さい工場なのかと驚いたという逸話があって~。」私「へぇ。」みたいに、全く大型機と関係ない話で盛り上がりました。