今から30年前の1995年11月23日(木)、Windows 95日本語版が発売された。それに関して今さらここに書くことはないと思っていたが、こんな記事があって興味深かった。
→ Windows 95発売時の秋葉原の熱狂とはなんだったのか - 人生に疲れた男のblog
この手のマスコミによる「マジック」は常套手段なので驚く内容ではないが、これはこれで過小評価なのではないかと思う。当時の様相について、業界紙の記事を読みあさってみた。
月刊アスキー取材クルーが到着した22日深夜22時あたりから人が増え始め、秋葉原界隈の目抜き通りが歩行者天国になる普段の休日よりも混雑する有様。警視庁発表では当日の人出が1万5000人であった。業界内の「閑散として寂しいのでは?」という憶測を完全の打ち消す形になったといえる。
秋葉原の中央通りに面する「ソフマップ Chicago Windows専門館」では、0時直前にカウントダウンが開始。秒読みと共に、立ち居並ぶお客さんからは掛け声が上がった。23日0時0分のその瞬間、看板上に設置された花火が吹き上がるとともにシャッターが開けられ一斉に売り出しが始められた。LAOXザ・コンピュータ館でもWindows 95発売記念のくす玉をマイクロソフトの成毛社長などが割るセレモニーがあり、その後1列に整列したお客さんが入場した。(ASCII 1996年1月号)
これはWindowsというOSの発売イベントとしては前代未聞だったに違いない。1万5000人が本当ならWindows 7の深夜販売とは比にならないが、当時の日本のPCメーカーの勢力を踏まえると、業界人も集ったと考えれば辻褄は合うかもしれない。給料日前の普通の平日だし、一般の人がそこまで集まるように思えない。
23日発売開始時の集客状況とWindows 95の販売価格について、秋葉原の大方の販売店各店が予想できなかった。集客状況については各店とも比較的懐疑的な見方をしていた。「購入するには何も23日の深夜でなくとも良いはず」であり、「秋葉原まで出て来なくても近くのコンビニエンスストアで購入できる」という状況があったからだ。しかし、実際には全く逆の展開となり、「まるで年末商戦のような人通りだった」。マイクロソフトのマーケティングや、これに乗じたマスコミ各社の報道が顧客心理を煽った結果だろう。
九十九電機パソコン本店・本店Ⅱ:4日間のWindows 95関連ソフト販売数は隣接するDOS/V館と合わせて約4,500本。このうちの約2,400本を23日深夜の開店時間内販売した。販売本数・客足共に当初の予想をはるかに上回るものだった。(中略)95インストールPCはDOS/V館と合わせて4日間で200台以上を販売した。95インストールPCが動き出したのは25日(金曜日)になってから。それまではソフトが中心。 (Yano report 1995-12-10号)
2店舗で2400本のソフトを一夜で販売したというのは中々すごい話だ。レジに並ぶ人を捌くだけでも大変そう。これを踏まえると、マスコミの過剰演出 + 業界関係者の担ぎ上げがあったとしても、購買意欲のある人が局所的に相当数集まったことは確かであり、Windowsの発売に人が集まったという前代未聞の事態が注目されたことには納得できる。
この話はそこまで掘り下げるつもりはなかった。PC Software Museumの内容を整理してて、こんな資料が出てきた。
Microsoft Office 97に同封されていたウイルス対策ソフトのビラ広告。

サイバーテロで話題の今では企業の存亡に関わるセキュリティ対策だが、これを見た当時は完全に他人事で、ソフトメーカーのマッチポンプもあるんじゃないかと思っていた。

我が家でちょうどADSL(常時接続環境)を導入した頃にMS Blastが流行していて、家庭内LANでもファイヤーウォールは入れなきゃという認識はあった。Windows XP SP1では接続のプロパティから手動でファイアウォールを有効にする必要があった。本当にセキュリティソフトはあった方が良いと思ったのはSasserが流行してからだったな。今にしてみれば程度の低い話だが、当時はその程度の認識だった。