近々、2種電気主任免状取得に向けた面談があるので、何か知識をつけておこうという試み。

昔、電験は電力保安行政の所轄である逓信省が担当していたことから「逓試」と呼ばれていたようですが、この言葉で調べてみると当時の様子が見えてきます。

昨年度第二種合格者 KS生「如何にして口述試験の突破せしや」(『逓試』1巻, 1号, 3頁, 1925年より)

先ず案内人に連れられて入口に手荷物を置き委員の方を見て一礼の上委員の「テーブル」の前に直立敬意を表し委員より椅子にお掛けなさいとの言葉にて私は椅子に寄る。そして下腹に力を入れて委員に顔負けせざる様静然として委員よりの言葉の出るのを待つ。先ず試験官より受験地、受験番号及び現在の職務に就いて問う所あり、私は外面愉快な表情を以て簡単に之に応答しました。之に対して両試験委員は私の勤務先の発電所設備及び操作等に就いて二三尋ねられました。之は要するに人物試験と私は思考して簡単に且つ要領よく返答すべく努力しました。

此の間両委員の方は常に「テーブル」上にある私の写真及び履歴書等をチョイチョイ見ながら私と対していられました。

之は難なく済みました、私はヤレヤレと思うていると両委員は御互に顔を見合せ何か隠くす様にして紙に鉛筆にて書いていました。

そして間もなく一委員は突然私に委員『ちょいと尋ねますが電気工作物規程に依れば絶縁電線を屋内に使用するときは屋外に使用せし時より安全電流を少に取るは何故ですか』と尋ねました、私『屋外の方が大に取る筈です』と直ちに答えました。すると委員は『何故です』と又尋ねました、私は斯様なことに注意していなかったものですから委員の方に『暫く待って下さい』と頼みました。委員『宜しい』。三分間程考えて、私『夏の炎天等に於て屋内の方は屋外より温度低き為です』委員『然らば冬季厳寒の時は屋外は屋内より冷きではないか』是れには私は閉口しました、故に私は「チット」考えていると片方の委員の方は今一人の御方に次に入りましょうかと御相談せられました。それ故に私は急いで『只今申上げた事は取消します』委員『然らば』私『屋外は通風等の関係に依り四季を通じての平均温度は屋内のそれよりも低き為です』と答えました、委員『宜しい』

委員『然らば同一太さの編組護謨線と東京線とは何れが安全電流大なりや』一寸考えました、早速私『安全電流は其の電線の温度上昇に因て決定せられるもの故、護謨性物質は元来耐熱度低き為め其性質上木綿に比すれば之より安全電流を少くせねばならん、且つ護謨は熱の放散率木綿よりも少なる為護謨被覆線等は木綿に比すれば一つの『ヒートインシュレーション』とでも云えます。と答えました、すると、委員『宜しい』、何か紙に記入せらる。

此の時只今問われた試験委員の御方は今一人の委員の方に次の問題に入りましょうかと相談せらる、こんどの方は高津淸博士である。自分はかねて写真等に依り御顔を知っている一寸此際御挨拶だけをして見ようと思いましたが仲々そんな元気は出ません。

高津先生は時計を見て早速私に、委員『それでは御尋ねしますが発電所の発生電力毎K,W,H,当りの電力価は如何なる事項を考慮して決定しますか』私は一寸考えました、之は先の問題に比すれば案外やさしいなと思い私『発電所と云われても水力火力及び瓦斯力、風力等種々あります』委員『成程ね何れの場合でも宜しい』私『然らば火力発電所の場合に就いてお答えします』自分は火力発電所に勤めているから、高津先生は笑って居られる。私『一ヶ年間の石炭価運賃共発電所建設費の利子及償却金経常費(維持費人件費修理費)其他維持の合計金高を発電機に接続せる積算電力計一ヶ年間の電力量合計より発電所内補助機に使用せる一ヶ年間の合計電力量を差引いたるものにて除せば之れ乃ち発生電力毎K W H, 当りの電力価となる』

委員『宜しい』委員『午後規定の時刻に集って下さい』私『では失礼しますどうか宜しく』

さて試験場は出たものの心配でならなかった、午後行けば幸い午後の試験を受けるに及ばずとあるのを見たので思わず万歳を唱えました。

そして直ちに試験場を出て東京市内の見物に出掛けました、此時こそは実に愉快でした。

上の文中に出てくる護謨線はゴム被覆電線のことで、東京線というのは当時の屋内で使われた木綿被覆電線の通称だったようです。

鉄道省電気局 後藤安太郎「受験当時の追憶」(『逓試』1巻, 1号, 10頁, 1925年より)

私は大正五年から十年迄(内二ヶ年休んで)四級、三級、二級、一種と順を追うて受けてみました。よく覚えて居りませぬが記憶に浮かぶままに主に二級、一種当時のことを書いてみます。私は早工を了えてから工手学校の高等科へ半年位通いましたが中途退学しました。参考書としては高等科のノートは最後まで基準としました。其他測定では、清水興七郎氏の三巻と高津氏、電燈は福田氏、輸送は山崎氏及太刀川氏のでしたが太刀川氏のは実に内容が充実して居て日本の技術者から生み出されたものとしては最も権威あるものの一つであろうと私は今も尊敬して居ります。尚鳳氏の波動振動もよいと思います。最後の避雷の部分などは得がたいものでしょう。電気磁気や交流理論はよい参考書がありませぬでしたので浅見氏のと梶井氏のノートで足りない所は雑誌、電気機は澁澤氏講義のノートと鳳氏変圧器及誘導電動機位のものでしたがね。その他東京高工の講義のノートを借りて見ました。

数学は高等科のノートを基にし刈屋氏微分積分講義(最後の部分を省いて)と大竹氏の高等数学、とスタインメッツ氏のEngineering Mathematicsを拾い読みしましたが大竹氏のはわかりにくい本なので無理に読みませんでした。その他細かいものは沢山ありますけれども要するに私は洋書は上記の一冊以外に何も読みませぬ。その代わりに日本語の雑誌、電気学会雑誌、電気評論、電気工学・オーム電気の友、研究報告の類などは大てい目を通しました。ノートや参考書で大体基礎が出来たら所謂時事問題を絶えず知って置く必要があるので雑誌を広く読むのがよいと思います。殊に発電所の工事報告の如きは色々な数値の概数を知る爲めよい参考になります。

それから一級の時は経営の関する参考書が必要と思いましたので萩原氏の電気事業及其経営という類のものも目を通しました。どんな問題が出るかは過去の問題集と雑誌を常に見て居れば大てい見当がつきましょう。

私は実地の経験がない(測定丈は電気試験所で従事しました)ので見学と言っても不用意に行ったのでは何の益もありませぬ。なる可くは旧い雑誌に発表されたその発電所なり送電線なりの工事報告を探したり、先輩に尋ねたりして、充分下調べをして、見学に行く前に質問事項を沢山書抜いて行ってうるさい迄に案内者に尋ねるがよい。『若しも自分が設計に直面したら』という心持で細かい点までゆっくり見て来れば尚更結構と思います。

それから四級、三級の頃にはよく知って居る事項が試験場へ行くと頭へ浮かばなかったり問題を見損って感違いして書いて来て答案を出して門外へ出てから友達の話をきいて『アッ間違た!』など言って後悔した事もありましたが一種の頃はなれて来たので殆んどそんな事はなく試験場で出来なかった事は家へ帰ってからもどうしても出来ない問題が多かったように記憶します。そんな問題は自分の力がそれ丈しかないのだから致し方ないと思って居ます。然し一度こんなことがありました。一種の口述試験、大容量発電所に於ける変圧器の乾燥法に就て答えよというような問題でした。今から考えると馬鹿気たような答をして七八人の並び居る試験官に代る代る追及されました。その内に自分の考の誤って居る事に気がついたので私は断然決心して『今迄お答えした事はみんな考え違いをして居りましたから全部取消します』と言ったら、それなら答えて見給え。(多分太刀川博士でした)と言われたので徐々に落ついて申述べましたら忽ち『よし』と言われたので安心して退きました。

勉強には予定表を作るがよいと思います。私は一ヶ年の約半分は数学と理論の為めに費やしました。電気学会講演には欠かさず出席する必要があると思います。

名称が二級、三級と一種で混ざっているのは誤字ではなく、大正10年に資格の階級が5区分から3区分へされた際に名称も変わったためです。なかなかハイレベルな試験対策を取られている(尊敬に値する)方ですが、そもそも当時の一種合格者は数人しか居なかったので、これは精鋭中の精鋭の方の話です。


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