Image: 210414 私をPC廃人に育てた3冊の雑誌とPC体験談

昔から注目していたあるComputer Nerd(コンピューターオタク)のブログを何ヶ月かチェックできていなかったので、過去の記事をいくらか見返していたのだけど、思い出語りしている様子を見て、ふと自分はいつからこの世界に浸かるようになったのかと考えた。

ワープロでコンピューターを知る

私の両親は理系分野に疎く、当然コンピューターやパソコンには詳しくなかった。しかし、母がワープロで紙文書をデータ化する内職を持ち込んでいて、私はその時にキーボードやフロッピーディスクというものを知った。ブラウン管ディスプレイにキーボードがくっついた奴で、何kgあったのか分からないが、子どもの私にとって持ち上げるには不安があった。プリンターのインクリボンを交換したり、かな漢字変換できない漢字を紙の辞書から探したりと手伝ったことを覚えている。たまに「区点コード」という言葉を聞くとうずうずする。

ワープロもコンピューターの一つだ。当時の文系人間にはそういうものに対して苦手意識を持っている人は多かったはず。母はワープロに抵抗がなかったのだろうか。後になってIBM 5550や大判プリンターの写真を見せた際に「懐かしい」と言って語り始めたのを聞いたところ、母は20代の頃に某重電メーカーへ出向した際にオペレーターとしてコンピューターを触っていたらしい。私としては母の意外な一面を知ったのでより詳しく聞きたかったが、母は覚えていないのか、嫌な思い出があるのか、それ以上の話は出てこなかった。ワープロの扱いは初心者だったかもしれないが、キーボードには既に抵抗がなかったのだろうと予想する。そして奇妙なことに、母はその後の職場でもパソコン端末を触る立場に回されていたらしい。家ではネットが使えればWindowsとかどうでも良いという典型的初心者なのだが、「周りが60代70代のジジババばかりで、キーボードを使える人が居ないから仕方なく」と言っていた。

Windows 95が来た

我が家に初めて入ったパソコンはWindows 95搭載の富士通FMV DESKPOWERだった。父が某家電量販店の開店セールに早朝から並んで、定価40万円近くのモデルを17万円で買ったという。私は既に学校でパソコンを使っていたので、ようやく家にパソコンが来たと思った。しかし、周りを見渡してみればパソコンを持っている家庭は少数派で、学校にあったパソコンも黒背景に白文字表示の旧態依然としたものだったので、自分で買ったわけでもないのに優越感に浸っていた。

父は理系筋ではないが、家電やオーディオに多少精通していたことや、科学全般に興味があって(Newton読者?)、パソコンも実務というより興味本位で買ったところが大きかったと思う。MIDIとDTMソフトを買ってきたり、SCSI接続のCD-Rドライブを増設してCDをコピーしたりと色々やっていたので、きっとそうだ。

私とパソコンとの出会いはこんなところか。Windows 9x時代から得たものは決して少なくなかったが、これだけだったら私はパソコンの内部に興味を持つことなく、今とは違う方向に進んでいたかもしれない。

パソコン誌との出会い

青年期に出会った以下の3冊のパソコン雑誌が今の私を決定的に形作ることになった。

  • 月刊Windows Start
  • YAHOO! JAPAN
  • 日経WinPC

もちろん雑誌が全てというわけではないが、これらの雑誌から受けた影響は大きい。

月刊Windows Start

タイトルで明らかなように、Windowsのトラブル対応や高速化、バックアップ、活用方法などを扱っていた。定番のDVDコピーツールも扱っていたが、表向きは「バックアップツール」と称してホワイトにアピールしていた。対象は初心者から中級者へステップアップしようという人向けの真っ当なPC活用本であったが、日経PC21やWindows 100%に存在感で負けた。私はこれを何冊か買ったものの、WinPCを購読するようになってから捨ててしまった。

この雑誌は私をWindowsマニアに仕立て上げた。ここでWindows PEのブータブルCDを作成できるPE Builder(BartPEの名称が一般的?)というソフトを知り、日本語化パッチやバッチファイルを弄くり回すことになった。ブータブルCD繋がりでKNOPPIXという日本語対応のLinux系OSを知り、PE Builderへの興味が薄れるとともにLinuxにも興味を持つようになった。回復コンソールやboot.iniの知識は、Windows XP SP2のインストールに失敗した際のトラブル解決や、VistaとXPのデュアルブート構成の際に役に立った。

YAHOO! JAPAN

元々はインターネットを起点としてフリーソフトを中心に、サイト活用、流行、文化などを幅広く取り上げていた。ある時期までは女性グラビアを載せて週刊アスキーに似ていたが、末期(2006年頃?)は実用性重視に傾いていて毛色が全く異なる。

父が偶然買ってきたこの雑誌は、私をFirefox信者に仕立て上げた。当時、FirefoxはVer.1.0が開発中 (Release Candidate前) という段階だったが、この雑誌で紹介されていたFirefoxとTabbrowser Extensions(Piro氏による開発)というアドオンを入れたところ、驚くほど高機能なタブブラウザが完成した。Tabbrowser Extensionsは重装備で賛否両論あったが、初期のFirefoxでは誰もが試す定番アドオンになった。残念ながらバージョンアップの仕様変更に追従できず、早々にTab Mix PlusやFoxyTabなどの他のアドオンに立場を譲ることになった。IEとはこの時点で決別したかったが、当時はIE専用にデザインされたサイトやActiveXを使うページがあって、ブラウザエンジンをIEに切り替えるアドオンやIEそのものを時々使わざるを得なかった。

その刊号にはもう一つ印象に残っている記事があった。『イリヤの空、UFOの夏』というラノベのOVAアニメ化企画の記事だった。いくつかあるニュース枠の1つだったが、これは私をラノベ廃人にした最初のきっかけになった。実際はこの後に紆余曲折を経てハマっていくことになり、この作品を読むのも少し後になるのだが、私の中でイリヤの空は現代ラノベのイメージの原点になっている。(古典ラノベはスレイヤーズみたいなイメージ)

日経WinPC

自作PCユーザー向けにPCパーツやベンチマーク比較、ニュース、PC活用術などが書かれている。今思えば、WinPCという名前は内容の本質からかけ離れているが、日経の他の雑誌に配慮して独自の地位を模索した結果だろうか。自作PC雑誌としては、ライバル誌のDOS/V Power Reportに比べてページ数は少ないが、よく整形された誌面と良好な紙質が気に入っていた。1000円を下回る980円という価格も助かった。

この雑誌が私を自作の世界に引き込んだ。初心者向けに自作PCの組み方を解説した無料パンフレットもあったが、そういうのはたいてい特定メーカーの宣伝を兼ねていて、偏った例しか取り上げないことが多く、どう選べばいいのか全体が見えてこない。雑誌にある様々なプランを読んで、自分の目的と予算に合ったパーツを選べばいいのだと分かる。ASUSやGIGABYTEなどメーカーの特徴も分かってくる。PCI ExpressやSATAといった内部インターフェイスにも詳しくなった。

この2005年10月号は最初に買ったので思い入れが強く、まだ保管してあった。デュアルコアや64ビットというキーワードが飛び交う。この頃のAMDは勢いがあり、フラグシップのAthlon 64 X2をIntelより高い価格で揃えていた。CPUのショーケースではIntelは中段に並べられ、トップにはAMDの黒いパッケージが並んでいた。しかし性能の伸びが悪く、Intelが翌年から展開したCoreシリーズに逆転されて、AMDはその後10年近く2流を彷徨うことになった。この関係性がずっと続くんだろうと期待を諦めていたから、まさかRyzenでAMDに夜明けが訪れることになろうとは思わなかった。

昔は良かった?

ここで取り上げた3冊の雑誌は全て休刊している(日経PC21とDOS/Vパワリポは継続中)。色んな意見はあると思うが、パソコン業界に限って言えば、紙から情報を得る時代は終わった(初心者向けには多少需要が残っているか)。自分より若い世代は、リツイートであれを知った、検索ワードでこれを知ったという体験談を積み重ねることになるのだろう。移り変わりがあっという間の業界だから仕方ない。

当時に戻りたいとは思わない。区点コードで文字を入力するなんて効率が悪すぎるし、98やXPのパソコンはポンコツ性能だった。今と違ってネットから知りたい情報を探すにも苦労した。でも、その経験が今の自分を形作っていると思うと、楽しいことも辛いことも含めて「昔は良かった」という感想になるんじゃないか。今の自分に対して不満はいっぱいあるけども、こうして回顧すると今の自分を受け入れられる気がする。そして、当時がそうだったように、これからも新しい経験を積み重ねていったら、この先々でも同じように振り返っては同じとことを思うのだろう。

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