Image: 1992年にDOS/V界隈で起きたMS-DOS 5.0a/V炎上騒動

1992年にDOS/Vユーザーから猛反発を受けたMS-DOS 5.0a/Vとは?

Wikipedia日本語版の『AX』の記事(2017年2月24日最終更新)には次のようにある。

1992年には、VGAモードでAX日本語ソフトを実行できる「AX-VGA/H」(日本語専用チップで構成)や、「AX-VGA/S」(DOS/V同様、ソフトウェアで日本語化を行う。ハードウェアは386とVGA・充分なRAMがあれば動作する[4])が登場したものの[1]普及することはなく、AXとDOS/Vを統合すべく同年夏にベータテストが行なわれたマイクロソフトの「MS-DOS 5.0a/V」は互換性への懸念によりユーザー層からの猛反発を受けて発売が中止されている[1][5]。

私はWin9xからPCの世界に入ったので当時のDOS/V事情には詳しくない。5~10年前のことだが、この「MS-DOS 5.0a/V」についてWebで調べたことがある。しかし、まだ検索スキルが未熟だった私には、有用な情報はほとんど得られなかった。大衆向けPC雑誌の代表格であろう月刊アスキーにもそのような記事はない。数少ない有意義な言及は個人サイトになるが、Nibbles lab.内 (文献1) にある。以下、一部を引用する。

MS-DOS5.0a/VとはマイクロソフトがAX規格の幕引きを図るために企画したもので、AXモードとDOS/Vモードが切り替えることができたのですが、JVGA386というドライバがEMM386と$DISP.SYSの機能を兼ねるのでやはり別のドライバを使用することができなくなるわけです。この時はパソコン通信などで大変な騒ぎとなり、結局マイクロソフトはMS-DOS5.0a/Vの発売を見送ってしまいました。

また、同サイトの別ページ (文献2) より。

MS-DOS5.0a/V騒ぎはある程度NIFTYで見ていたが、まさか手にできるとは思っていなかった。AX-VGA/Sも同じだが、386のページフォルト機能を利用してVRAMをエミュレートするためにEMM386と合体する必要があって、当時パワーユーザーなら必ず入れていたというQEMM386を使うことができずただでさえ評判が悪かった上に、JVGA386.SYSにはAXモードとDOS/Vモードの二つがあって「終わっていく」AXのために「興っている」DOS/Vのドライバとしてそんな質の悪いものは受け入れがたいという表明をする著名ユーザーが次々現れる事態になった。メーカーとしては「AXが失敗した」という形で決着しなくていいよう、DOS/Vへの橋渡しとなるドライバの供給を求めたのかもしれない。結局は署名運動にまで発展したこの騒ぎによって、DOSさえも主導権がIBMに移ったように思える。

IBM DOS/Vが日本語環境と英語版PC DOSを融合(コマンド一つで切り替え可能に)したように、マイクロソフトはDOS/VとAXを融合したMS-DOS/Vを作ろうとしたものの、ドライバの構造がIBM DOS/Vと互換性を損ねていたため、DOS/Vユーザーから猛反発を受けたようだ。一方、日本IBMは「歓迎はするが採用する理由がない」として非協力姿勢を見せたため、これはこれで反IBM派の反感を増長し、論争をややこしくした。ただ、騒ぎという割には、その争点はいささかマニアックな領域だ。PC-98の寡占市場に浸かっていた一般のPCユーザーがついて行ける話ではない。DOS/Vが一般ユーザーから注目を浴び始めた時頃にこの問題が浮上し、反対派が要望書や署名活動などと煽り立てて騒ぎがパソコン通信全体へ伝搬したというのが、俯瞰目線で見た事の真相じゃなかろうか。

MS-DOS 5.0a/Vに関する大まかな経緯

当時のマイクロソフトは自身が開発中のOSについて詳細を公表しておらず、事前情報の多くはPC業界関係者からのリークが情報源と考えられる。

  • 1990年10月:日本IBM、IBM DOS J4.0/Vを発表。日経バイト誌では当初から特集で取り上げられたが、一般にはあまり注目されていなかった。
  • 1990年12月:日本IBM、「PCオープン・アーキテクチャー推進協議会(OADG)」設立の記者会見にて、マイクロソフトがDOS/VをPCメーカーへOEM供給する予定であると発表する。
  • 1991年6月:米IBMと米マイクロソフト、それぞれIBM DOS 5.0とMS-DOS 5.0を発売。
  • 1991年9月:三洋電機、マイクロソフトの日本語MS-DOS 5.0を搭載した最初のパソコンとなるAXパソコン「AXAGE NOTE 386SX」を発売。(日経パソコン1991年10月28日号)
  • 1991年10月:日本IBM、DOS/Vの最初のメジャーバージョンアップとなるIBM DOS J5.0/Vを発売。マイクロソフトはかな漢字変換ソフトの仕様をめぐって日本IBMと折り合いが付かず、MS版DOS/Vの開発に遅れが生じる。また、AX-VGAとDOS/Vの両方との互換性を持った「DOS/M」構想の存在が浮上する。(日経バイト1991年12月号)
  • 1992年4月:コンパック、日本法人設立以来初めてのDOS/V搭載パソコンを発売。当初の資料ではMS-DOS 5にIBM DOS/V互換の日本語処理機能を独自に開発したとある。(ASCII 1992年4月号)
  • 1992年6月:マイクロソフト、AX-VGA/SにDOS/Vのファンクションを取り込んだDOS/Mこと「MS-DOS 5.0A/V(仮称)」を開発中であることを公表する。同年秋のOEM出荷予定。(日経バイト1992年7月号)
  • 1992年8月中旬:日経バイト誌でMS-DOS 5.0a/Vの詳細が明らかになる。(日経バイト1992年9月号)
  • 1992年9月頃:パソコン通信 Nifty-Serve のフォーラム FIBMPRO を中心にMS-DOS 5.0a/Vに関する議論が過熱し、草の根BBSを含め他所のフォーラムにも飛び火する。
  • 1992年10月:AXのハード・ソフトやMS-DOS 5.0a/Vの互換性テストを請け負うオープンインタフェース株式会社が設立される。AX協議会を母体とするが、マイクロソフトとは資本関係を持たない。(日経バイト1992年11月号)
  • 1992年10月20日:日本IBM、PS/2やPS/55から独自性を排除したパソコン「PS/V」と「ThinkPad」を発表。DOS/VユーザーにとってMS-DOS 5.0a/V騒動に並ぶ印象的な出来事になる。
  • 1992年10月26日:日本電気、PC-98の新機種「PC-9821」を発表。
  • 1992年11月頃:マイクロソフトがMS-DOS 5.0a/Vを取り下げ、日本IBMのDOS/Vに準拠したMS版DOS/Vの開発に専念することが明らかになる。MS版DOS/Vは翌年5月OEM出荷予定。(日経コンピュータ1992年12月14日号)

DOS/Vの複雑な供給経路

最初のDOS/Vは米国IBMが開発したIBM DOS 4.0をベースに日本IBMが独自に開発したIBM DOS J4.0/Vで、当初は自社のマシンであるPS/55に依存する部分があり、PC/AT互換機で動かすには色々難があった。この問題については1992年3月リリースのJ5.02/Vまでに概ね解決された。マイクロソフトはAXの提唱者だったが、マイクロソフトも日本IBMも、お互いが手を組んでDOS/Vを普及させなければ、NECの寡占を覆せないと分かっていた。マイクロソフトは日本IBMからDOS/Vのコアモジュール(フォントドライバ、ディスプレイドライバ)のソースコードを受け取り、自身のMS-DOSをベースにしたDOS/VをPCメーカーに供給する予定だった。

しかし、ここで日本語入力の標準仕様をめぐって対立が生じ、日本IBMとマイクロソフトの歩調が合わなくなる。マイクロソフト版DOS/Vの完成時期が不透明になったため、一部のPCメーカーはしぶしぶ日本IBMのDOS/Vをバンドルすることにした。なぜ渋ったかというと、日本IBMが自身のDOS/VのOEM供給を認めなかったことと、日本IBMに主導権を握られるという懸念があったように見える。日本IBMとマイクロソフトがPCメーカーを巻き込んで手を組んだOADGは一枚岩ではなかった。

ソニーはIBM DOS J5.0/Vのパッケージに自社開発のAX用ドライバを含むディスクを添付したパッケージを販売した。外観はソニーのパッケージだが、箱を開ければIBMのパッケージが丸ごと出てきたらしい。東芝とコンパックはこれを嫌い、IBM DOS J5.0/Vと互換性を持つDOS/Vを独自に開発した(しかし日経バイト1992年9月号の記述では、コンパックはマイクロソフトからMS-DOS 5.0/Vの供給を受けたとある)。海外でMS-DOS互換OSのDR DOSを開発・展開したデジタルリサーチは、1992年7月に日本市場向けにIBM DOS J5.0/V互換のDR DOS 6.0/Vを発表。この関係図を見るとカオスな様相となっている。

Image: MS-DOS 5.0の系譜

MS-DOS 5.0a/Vの詳細

上で説明したように、MS-DOS 5.0a/VとはDOS/VとAXの両方のアプリケーションに対応したDOS/Vである。ただ正確には、MS-DOS 5.0a/Vは3つの環境(DOS/V、AX、AX+DOS/V)が用意され、どれを実装するかはOEM先のPCメーカーが判断することになっていた。

デバイスドライバ IBM DOS/V DOS/Vモード AXモード AX+DOS/Vモード
ディスプレイ $DISP.SYS $DISPLAYJ.SYS JVGA386.SYS
フォント $FONT.SYS (なし)
EMSメモリ EMM386.EXE
カナ漢 $IAS.SYS KKCFUNC.SYS
プリンタ $PRNESCP.SYS PRINTERJ.SYS JPRINTER.SYS
キーボード KEYB.COM JKEYB.SYS

特に問題として挙がったのはAX+DOS/VモードのJVGA386.SYSというドライバだ。日経バイト1992年9月号では次のように説明されている。

このドライバは、IBM DOS J5.0/VでDOS/Vを実現するのに必要な、EMS (EMM386.EXE)、ディスプレイ ($DISP.SYS)、フォント ($FONT.SYS)の各ドライバの機能の他、JEGA LSIのエミュレーション、VCPI (virtual control program interface) 機能なども持っている。JVGA386.SYSは1Mバイト超の領域に常駐する。また640Kバイト以下の部分と、AT機でモノクロ・テキストのVRAMとして使っている部分にも、DOS/Vの画面BIOSをエミュレートする部分がロードされる。

同記事によれば、動作環境などに応じて3つのモードを用意しながらも、マイクロソフトはいずれAX+DOS/Vモードを標準として日本語MS-DOSやWindowsを開発・供給していくつもりとある。

日本IBMのDOS/Vでさえ世界的に見れば異例のカスタマイズを施したMS-DOSなのだが、JVGA386.SYSの存在はもはや異例というレベルを超えている。

DOS/Vを開発した日本IBMの羽鳥氏が語っていた設計思想「シンプルな設計そのものが、今後の拡張を可能にし、英語DOS環境との親和性を保ちうる」とは真逆に向かう設計。i80286以下のマシンの切り捨て。さらに、DOS/Vのパワーユーザーで流行していたフォントのカスタマイズや画面表示のHi-Text化ができないとなれば、それらユーザーが反発する心情はとても理解できる。

逆にAXの支持層はどれほどいたのだろう。DOS/V登場前ならともかく、DOS/VにAXユーザーが飛びついた後では、残るのはAXを作っていたメーカー関係者くらいだろう。AT互換機ユーザーからすればAXのサポートなんて迷惑な押しつけだ。

騒動の終焉

1992年11月頃、マイクロソフトはDOS/VにAXのプラットフォームを統合することを断念し、既存のAXパソコンは並立しながらも急速にDOS/Vへ移行していく方向になった。これによってハード、ソフトともにDOS/Vへの一本化のめどが立ち、日本IBMを中心としたDOS/V勢力とNEC・EPSONのPC-98勢力との2大勢力という構図になった。

日本IBMとマイクロソフトは仲直りしたかというと、一概にそうとも言えない。PC DOS J6.1/VとMS-DOS 6.2/Vの英語部分だけでなく日本語拡張部分に非互換性があることを見れば分かる。しかし、時代はWindowsに向かいつつあり、DOS/VのOS自体への注目は急激に逸れていった。

参考文献

本文中の画像は日経バイト1992年9月号p.116, p.117より。日本IBM、東芝、コンパックのパッケージは見たことあるけど、ソニーとDR DOS 6.0/Vのパッケージは初めて見た。ちゃんとパッケージ販売されてたんだな。

  1. AX386N - Nibbles lab.付属シャープ博物館
  2. 設定物語 - Nibbles lab.
  3. 本間 健司『トレンド:混迷深まるDOS/V―MS-DOS 5.0a/Vは一本化の切り札になるか』, 日経バイト, 1992年9月号, pp.116-124.
  4. 『MIXハイライト:books/computer会議:DOS/Vはこのままでいいのか』, 日経バイト, 1992年11月号, pp.365-370.
  5. 畑 陽一郎『特集:押し寄せるIBM互換機の波:第1部:潮流―今度こそ互換機市場が立ち上がる』, 日経バイト, 1992年12月号, pp.194-211.

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